セルマーの歴史

1940〜1979年

  • 1941
    アンリ・セルマーが亡くなり、モーリス・セルマーが社長となる。
    30,000本目のサクソフォンを製造。
    1942
    モーリス・セルマーの次男ジョージが入社。
  • 1948
    第2次世界大戦の直後は社員が80名までに減少したが、1946年からは月産250本まで生産が回復。そして2年後には新製品「スーパーアクション」サクソフォンを発表。
    マルセル・ミュールがセルマー・パリ社のテスターとなる。
  • 1950
    パリ音楽院の教授3氏、ユリス・ドゥレクリューズ(クラリネット)、マルセル・ミュール(サクソフォン)、レイモン・サバリッチ(トランペット)がセルマー・パリ社のテスターとなる。
    月産が650本となる。
    アンリ・ルフェーヴルの息子ルネが入社。
  • 1951
    アドルフ・サックス社があったミラ通りのビルを1949年に買い取ったあとに、金管製造部門として新たに3階分を増築。
    「ソロイスト」マウスピースを発表。
  • 1952
    「スーパーアクション」の発表にともなってアメリカでの販促活動を新たに展開。
    セルマー–マッカフェリ・ギターの生産を停止。
  • 1953
    アレクサンドル・セルマーが死去。モーリス・セルマーの息子ジャックが入社し、セルマーの第3世代であるジャン、ジョージそしてジャックがそろってセルマー・パリ社の経営に参加することとなる。
  • 1954
    マルセル・ミュールの協力を得て開発された伝説的なサクソフォン「マークVI」と、「センタード・トーン」クラリネット、「K-モディファイド」トランペットという3つの新製品を発表し、セルマー・パリ社にとって画期的な年となる。
  • 1955
    マントの工場が増産のために増築され、月産が900本に到達。
  • 1958
    370名の社員により、毎月1,000本の楽器が製造されるようになる。
  • 1960
    BおよびAクラリネット「シリーズ9」と「シリーズ9☆」を発表。
    1961
    アンリ・ルフェーブルが社長となる。
  • 1962
    金管楽器のブランド「ドゥヴィーユ」を発表。
    ガブリエル・マッソンの協力で開発された「ボレロ」および「ラルゴ」トロンボーンを発表。
    10万本目のサクソフォンを製造(6月28日)
  • 1965
    パリ11区のラ・フォンテーヌ・オー・ロワ通りに新本社を構える。
  • 1966
    モーリス・アンドレがトランペット開発のアドバイザーとなり、1985年までの長きにわたる協力関係がスタート。
    マント工場の生産体制を再編。
  • 1968
    アンリ・ルフェーヴルが死去し、ジョージ・セルマーが社長に就任。
    ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団ソロ・サクソフォン奏者のミシェル・ヌオーがマルセル・ミュールの後任として、セルマー・パリ社のアドバイザーとなる。
    「ラディアル2」トランペットを発表。
  • 1970
    フランス国立管弦楽団ソロ・クラリネット奏者のギー・ダンガンがセルマー・パリ社のアドバイザーとなる。
  • 1971
    BおよびAクラリネット「シリーズ10」を発表。
  • 1972
    野中貿易と日本総代理店契約を締結。
    1973
    工場責任者のアンドレ・クレルジョが引退し、ジャン・セルマーの息子パトリック・セルマーが入社。
  • 1974
    ミシェル・ヌオーとの協力により開発された「マークVII」を発表し、「マークVI」の生産を終了。
    アンドレ・クレルジョの息子、ジャン–マリー・クレルジョが入社。
  • 1975
    ジョセフ・マルチとの協力により、「マルチ・システム」クラリネットを発表。
  • 1976
    アヴィアック社のビルを買い取り、マント工場を3,100m2拡張。
    コンピュータ・システムを販売部門と管理部門に初めて導入。
  • 1977
    「10S」クラリネットを発表。
    「シリーズ700」トランペットを発表。
    1978
    ジョージ・セルマーの娘ブリジット・セルマーが入社。