インタビュー
INTERVIEW

藤原功次郎(日本フィル首席)
−インタームジカ国際ソロイスト・コンクール2012
(INTERMUSICA INTERNATIONAL SOLISTENWETTBEWERB 2012) 第1位獲得−

Bach

昨年10月、ウィーン近郊のビルクフェルトでおこなわれた
「インタームジカ」国際コンクール2012。
オーストリアの国際コンクールで、日本人の金管奏者として初めて優勝した藤原功次郎さんに、現地でのことなど話していただきました。

藤原功次郎氏
優勝賞金は6000ユーロ。ウィーンの永住権も付与される

優勝トロフィーを持つ藤原功次郎氏 手に持っているのが今回の優勝トロフィー。ウィーンの街のマークであるカラスをあしらったものだが、ずっしり重い!

 実は、僕も参加するまで、このコンクールについて何も知らなかったんです。国際コンクールには前から出たいと思っていましたし、プラハの春の国際コンクールはテープ予選も合格していたのですが、出発間際に震災があって行けませんでした。その年は、東北等日本国内での演奏活動ほか仕事は充実していましたが、海外のコンクールで結果を出したいというのは、大学を卒業以来ずっと思っていたことなんです。
 そんなとき、チューバの柳生和大君がパソコンのWebでたまたま見つけたのがこのコンクール。最初はあまり興味なかったのですが、よく見たら、木管と金管が一緒に戦うし、場所もウィーンだし、晩餐会とか青少年のブラスキャンプとか、おもしろそうだなと。しかも、見つけた柳生君は出ないと言っているし(笑)、じゃあ、僕が受けてみようと(笑)。

 テープ審査で選ばれた45人の中で、日本人は僕だけでした。あとは韓国、中国、アメリカ、チリ、ヨーロッパ…。で、その45人で3日間、とにかくコンサートをしまくる。すべてオケバックでソリストとして演奏、それを審査員が審査するんです。変わったところではホスピスでも吹きました。
 最初にリハーサルをしたときに「日本人が頑張って吹いてるね」という視線を感じました。それで、自分のリハーサルが終わったあと、全員のリハーサルを聴き、良かったと思うことすべて書き留めていきました。なかでも、楽に吹いている人の演奏を聴いたとき、一所懸命に吹く僕とまったく反対のアプローチ、西洋のエスプリに衝撃を受けたんです。で、自分を変えていきました。というか、変えざるを得ない。本当は逃げたかったけれど、帰れませんからね。

いろいろなメンバーとアンサンブル 瞬間瞬間でいろいろなメンバーとアンサンブル。オケでの経験が役に立った
作務衣で演奏する藤原功次郎氏 この日は作務衣で演奏

 リハーサルは15分と決められていましたが、舞台上で吹くのは自由なので、何度も吹きに行きました。そうしたら、そこがまた向こうの人のすごいところですが、敵味方関係なく、良いところ悪いところを指摘してくれるんです。すごく活発な意見交換ができたことは、とても有意義でした。ギャラリーも、最初は2人か3人だったのが、どんどん増えていって…。指揮者も聴いていたらしく、それをたまたま見ていた日本人の友人が「アメージング!と言ってたよ」と教えてくれました。
 たった1日、2日で演奏の幅がどんどん広がって変わっていくのを、身をもって体験しました。今まで無意識のうちに、日本人だからここまでしかできないと線を引いていたんでしょうね。知らず知らず自分にはできないというイメージトレーニングをしていた、そこからポンと抜け出せた気がします。

ファイナリスト5人の演奏が収められたCD ファイナリスト5人の演奏が収められたCD バック42AF 僕の演奏にしっかりついてきてくれたバック42AF

 ファイナリスト5人による最終審査の会場はお城! 実は、地元の方など満杯のお客さんたちの反応で、これは期待していいんじゃないかなって思っていたんです。向こうは反応があからさまですから。
 街中が歓迎してくれた華やかなコンクール。その結果としての優勝はもちろん嬉しいけれど、それ以上に、今回の結果が世界を広げてくれたことがとても嬉しい。今年の9月には受賞者コンサートもありますし、実は、とある有名オケと吹くことも決まっています。とにかくすばらしい経験でした。本当に、柳生君、ありがとう!(笑)

 コンクールで使った楽器はバック42AFの赤ベルです。この楽器にして1年くらいかな。実は、僕自身は楽器にそんなにこだわりを持たないようにしているんです。もともとピアノと作曲が専門だったからでしょうか。どんな楽器でも、どんな環境でも、自分の音にならなければと思っています。楽器がどうだとか言い出すと言い訳になってしまう。
 が、まわりは、今度の楽器を大絶賛(笑)。首席指揮者のアレクサンドル・ラザレフはロシア人でごりごり吹かせるのですが、「グレートサウンズ!」とほめてくれました。そういえば大学生の頃、楽器を初めてバック、42Tの黄ベルにしたときも、僕自身は意識していないのに、まわりが「バックの音だ! いいじゃない」と。今回のコンクールでは、自分がパッと変わったら、この楽器もパッとついてきてくれました。すごく感謝しています。

 ウィーンに行ってよくわかったのですが、変わってはいけないものがある一方、恐れず変えていくべきものもある。バックのトロンボーンも同じだと思います。そして、それこそが伝統の力なのでしょう。
 今後は、音楽に国境がないということを、自分のトロンボーンの音で知らしめていく奏者になっていきたい。そしていつか、ジャパニーズトロンボーンというものを確立したい。そのための礎になりたいと思っています。


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