インタビュー
INTERVIEW

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グレゴール・ヴィット(ベルリン国立歌劇場首席オーボエ奏者)
インタビュー 通訳=佐藤亮一

今年の10月に、ダニエル・バレンボイム率いるベルリン国立歌劇場が来日。伝統あるオペラの名演は日本中で話題になった。このベルリン国立歌劇場のオーケストラで一際光る美しいオーボエソロを聴かせたのが、首席奏者のグレゴール・ヴィット氏。多忙な来日公演の間に時間を割いていただき、ドイツのオーボエ事情、氏が使用するLFオーボエのこと、そして、9月にスペイン人の教え子がミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したことなど、興味深い話をうかがった。


11才のときに大好きなバッハで活躍するオーボエを始めました

─ヴィットさんがオーボエを始めたきっかけを教えてください。

グレゴール・ヴィットヴィット:私の一家は代々音楽好きで、私自身は5才のときにピアノを始めました。11才のとき、両親から、オーケストラで演奏できる楽器をやってはどうかと言われて、大好きなバッハで活躍するオーボエを選んだんです。私の祖先には1850年にオーボエ奏者だった人もいるんですよ。そういう意味では、私がオーボエを始めたのは偶然ではないかもしれません。

─オーケストラやバンドに入って吹いていたんですか?

ヴィット:いいえ。ベルリンの音楽学校に入学して、ベルリンコミッシュオパーのメンバーに1年間習っていました。その後は、ベルリン国立歌劇場のゲルト・アルブレヒト・クラインフェルトにレッスンを受けました。そのまま、音楽大学に進学しても、彼に習っています。

─音楽大学に進学したあとはどうしたんですか?

ヴィット:16才で音大に入学して20才で卒業しました。ちょうどベルリンの壁が壊された1989年のことです。私はすぐにシュベーリングのオーケストラに入団しました。もう私が卒業するのを待っている状態だったんです。その一年後、ベルリンコミッシュオパーに移りました。

─そのときは、まだ国から買わされた楽器を使っていたんですか?

ヴィット:最初のうちはそうです。その後、東西の壁が開いたので、いろいろな楽器を試すことができるようになって、1991年にシュプリンガーのオーボエを買いました。西側の楽器はすごく高価だったけど、もっと良いオーケストラに入りたいと考えていましたから。


ドイツ人がフランス式オーボエを使うようになったきっかけは…

─ベルリン国立歌劇場管弦楽団の演奏を聴いたときに、ヴィットさんが吹くオーボエが、どんな音量のときも丸く太い音がしていることに驚きました。

グレゴール・ヴィットヴィット:ありがとうございます。でも、私は、響きだけが価値を持っているとは考えていません。響きというのは、何を演奏するかによって変わってきますから。
 私の生徒たちにも、最初からローター・コッホ氏のような暗くてきれいな音を目指している子はいるのですが、そういう生徒は、そこから先、音を変えることができなくて苦労します。それができたとしても、どの部分でどういう音を使ったらいいかという判断が難しいんです。音楽的な側面から作品を理解することによって、音を変化させていかなければいけません。
 物理的には、響きは、リード、アンブシュア、楽器、身体の使い方によると思いますけど、もっとも大事なのは頭のイメージなんです。

─近年、ベルリンフィルなどはインターナショナル化してきましたが、ドイツのオーボエ奏者から見て、フランススタイルのオーボエはどういう風に感じられますか?

ヴィット:まず、いったい何がドイツのオーボエのスタイルなのか考えなくてはいけません。私たちが吹いているのはフランス式のオーボエですから(笑)。
 ドイツ人がフランス式のオーボエを使うようになったきっかけをご存知ですか? オーボエのためのエチュードをたくさん書いたフレッツ・フレミングという人がいますが、彼は私の祖父ぐらいの世代のベルリン国立歌劇場の奏者だったんです。
 小さいころからとても才能がある人で、自分の町には良い先生がいないという理由でパリに勉強に行かされた。ちょうど今から100年前ぐらいのことです。フレミングは、パリでジレに習うことになって、そこでフランス式のオーボエに出会った。その当時ドイツで使われていた楽器よりも、キーがたくさんあって難しいパッセージを楽に吹くことができることに彼は驚いたんです。当時のドイツ式オーボエは、力強さがあって音も丸かったんだけど、トランペットのような鋭い音がした。
 フレミングは、フランス式オーボエを習得してドイツに戻り、私と同じ23才でベルリン国立歌劇場のオーボエ奏者に就任しました。彼が吹くフランス式オーボエが、ドイツ式オーボエよりも有利な点があまりにも多かったので、周りのオーボエ奏者たちはどんどんフランス式にコンバートしていったんです。
 当時、リヒャルト・シュトラウスがベルリン国立歌劇場を指揮していて、何でも簡単に吹いてしまうフレミングを見て、「私がもっと難しく書くことができるのは何だ?」と聞いた(笑)。そこで、フレミングは、広い音域の跳躍と第3オクターブのFisが吹けるようになったと伝えたんです。それを言ったために、リヒャルト・シュトラウスは、Fisの音が出てくる《薔薇の騎士》の冒頭の鳥の声のメロディを書いたんですよ(笑)。

─大変興味深いエピソードですね。それでドイツのオーボエ奏者はフランス式オーボエを使うようになったわけですね。

ヴィット:ええ。現在では、フランス式の楽器を使っていても、ドイツ独自の響きというものはありますが、当時のベルリン国立歌劇場の録音を聴くと、みなさんがイメージしているドイツの響きとは違うと感じるはずです。その後、楽器が技術的に進歩したり、リードの製作技術が向上したことや、ローター・コッホやギュンター・パッシンらによって、ドイツ独自の音色が確立されました。私の先生もコッホの影響を受けていて、私自身も、その美しい響きを勉強しようと考えたのです。


現在はLFのブリリアントというモデルの楽器を使っています

─ヴィットさんが、フランス製のオーボエではなく、ドイツ製のシュプリンガーを選んだのも、そういうイメージがあったから?

ヴィット:そうですね。最初の段階ではまだ問題があったのですが、楽器を発展させていくという強い意志と良い設計をしようとする意欲に溢れていたので、それが気に入ったのもあります。シュプリンガー氏が製作していた初期の楽器は、中音域は素晴らしい音色なんだけど、高音域や低音域の音程に問題がありました。
 その後、フランク氏が製作するようになってから、常に彼が作業をしている横に座って意見を言い続けたことにって、現在ではとても満足する楽器になりました。

─具体的にはどういうところを希望したんですか?

ヴィット:まず音程です。それから、楽なリードでしっかり楽器が鳴ること。以前は、重いリードでないと楽器が振動しないという問題があったのですが、楽なリードで自由に吹ける状態にして反応してくれる楽器にして欲しいと伝えました。

─今、お使いの楽器はベルの形状が独特ですけど、それは何か意味があるんですか?

グレゴール・ヴィットヴィット:これは、数カ月前から使い始めた「ブリリアント」というモデルで、ベルだけでなく、内径などあらゆるところがこれまでのモデルと違っています。
 このモデルに関しては、私が具体的にアドバイスしたわけではありませんが、「もう少し響きを豊かにすることはできないか?」と常に提案していたので、それに応えてくれたのでしょう。
 良い音を出すためには、何よりも奏者自身のイメージが大切ですけど、ピアニシモの発音がいかに上手くできるかというのは楽器に因るところが大きい。その意味で、この新しい楽器は、ピアニシモの音をきれいに発音できるようになっています。


今年の9月にスペイン人の弟子がミュンヘン国際音楽コンクールで第1位に!

─ヴィットさんのお弟子さんが、今年の9月に難関で知られるミュンヘン国際音楽コンクールで第1位になったそうですね。

ヴィット:ええ。私は、スペインのセヴィリアでオーボエを教えているのですが、彼はそこの生徒。ラモン・オテガという名前でまだ19才です。最初、アンダルシア地方のユースオーケストラを指導しに行って出会いました。
 非常に才能のある生徒を、順序立てて教えていくことができたのは良かったと思います。急いで仕上げようとするとうまくいきませんから。1人の人間を教育していくことは、半年や1年ぐらいの間に、こうやったらできるようになるという簡単なものではありません。一歩ずつ進めていって、フィンガリングの技術などもコントロールしながら一緒にやっていくことが大切です。
 私自身は、コンクールというものは好きではありません。音楽で賭けをするようなことは(笑)。でも、才能のある生徒にとっては、それを受けることはマイナスはないし、そこまで才能のない生徒でも、その準備をするプロセスがプラスになるでしょうけど。

─オテガさんは、今後どうするんですか?

ヴィット:どこかのオーケストラのソロオーボエのポジションは確実に得ることができるでしょう。これからも、もっとレパートリーを増やすことができるように指導していこうと考えています。

─オテガさんも、ヴィットさんと同じLFのオーボエを使っているんですか?

ヴィット:ええ。私自身は生徒に同じ楽器を使うように言ったことはないんですが、ほとんどの生徒は同じ楽器を使っています。

─オテガさんがミュンヘン国際音楽コンクールで優勝したときは、「ブリリアント」モデルを使っていたんですか?

ヴィット:そうです。以前はかなり古い楽器を使っていたんですけど、去年の12月に「ブリリアント」モデルに替えてコンクールの準備をしたんです。その結果、非常に柔らかい音で演奏できるようになって、2月のパリのコンクールやハノーファーのコンクールで一位を獲ることができました。そして、ミュンヘンも一位になったのです。

─ミュンヘン国際音楽コンクールでは、これまで40年間一位が出ていなかったんですよね。一位を獲るためには、スタイルの違う各国の審査員を納得させなければいけなかったのでは?

ヴィット:私自身、彼が優勝したことはある意味で驚きではありましたが、自分たちがやってきた音楽的なことや技術的なことが、様々なスタイルの人に受け入れてもらえたことは、非常に嬉しく思っていますし、それをこれからも続けていきたいと考えています。  おそらく、その背景には、いろんなスタイルを容認するように世の中が変わってきたこともあるのではないでしょうか。これまでは、「このスタイルでないと受け入れない」とか、自分たちの世界だけで閉じてしまって、他を否定していた動きがけっこうありましたけど、今は、そうではなくて、「いかに知的に処理されているか」とか、「どういう演奏の仕方をしているか」ということをきちんと見て評価するようになったように思います。暗い音を出そうとして、アーティキュレーションが不鮮明だったり、柔軟でなくなったりする演奏は、もうコンクールでは受け入れられなくなった。それが必要だという人が出てくれば、また違ってくるかもしれませんが(笑)。

ありがとうございました。

現代ドイツを代表する名匠、ルートヴィヒ・フランク氏の頭文字を冠したその名も“LF”オーボエ。
その歴史は、1991年に熟練の技術者シュプリンガー氏との共同開発から始まります。
その後、宮本文昭氏などが愛用するようになりその存在が脚光を浴び、2004年のフランクフルトの楽器展示会では、オーボエ部門の一位を獲得しています。

LF オーボエ

212
¥オープンプライス
セミオートマチック
カバードキー
フル装備
第3オクターブキー付
LowB-LowB♭レゾナンスキー付
キー金メッキ仕上

LF オーボエ

112
¥オープンプライス
フルオートマチック
カバードキー
フル装備
第3オクターブキー付
LowB-LowB♭レゾナンスキー付
キー金メッキ仕上


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