istanbul Agop

ヒストリー

ISTANBUL AGOP CYMBALS

イスタンブール・アゴップ社の創設者であるAgop Tomurcuk(アゴップ・トムルジュク) は、トルコのイスタンブールで1941年に生まれ、イスタンブール近くのSamatyaで育ち、二人の兄の後を追って9歳の時にトルコで唯一のシンバル工場で見習いのシンバル職人として仕事を始めました。
アゴップはここで様々なことを学び、各工程の専門家となってシンバル作りのあらゆる面を洗練させることに貢献しました。
最終的にはシンバル職人の棟梁を務めましたが、会社は1977年にトルコでのシンバル生産を終了しました。
その後アゴップは1年程度様々な仕事を経験しましたが、陸(おか)に上がった魚のような気持ちでした。
そして彼はトルコの伝統的ハンドメイド・シンバル作りを自分の手で続けてみようと決意したのです。
周囲に少しは相談したものの、彼は工房の場所を決め、以前勤めていた会社で使っていたたくさんの装置や道具を買い集めることができました。
彼はイスタンブールのBakırköy-Kartaltepe地区にある小さな工房を借りて、愛妻Uskui Tomurcukの助けを得て、シンバルの試作と生産を始めましたが、限られた資源と人材のため決して簡単なことではありませんでした。

最終的に彼は小さいけれど機能的な工場を立ち上げることができ、兄のOksantはシンバル職人の棟梁としてこの会社に加わりました。彼らはイスタンブールのTünel地区にある楽器店向けにシンバルの販売を始めましたが、売れる見通しは極限られたものでした。

Agop Tomurcukの友人であるMehmet Tamdeğerはこの新しいビジネスを知りパートナーになりました。
彼らは1980年にZilciler Kollektif Şti社(シンバル職人集団の意)を設立し、シンバルの上にZilcilerのロゴを初めて入れました。
2年が過ぎ、Zilciler社は成長し海外にシンバルを輸出するようになりました。
ブランド名はすぐにイスタンブールと改められ、1982年までにアメリカ合衆国へ輸出するようになりました。
同年、イスタンブール・シンバル社はアメリカのNAMMショーでデビューを飾りました。ここで伝説のドラマー、メル・ルイスは、彼がこよなく愛したハンド・ハンマード(手打ち仕上げの)ヴィンテージ・トルコ式シンバルの音に対しこう言いました。「あの音が帰ってきた!」
メル・ルイスはイスタンブール・シンバル社発のエンドーサーとなり、それ以来、彼との協力体制は会社にとって大きな名誉となりました。
1984年、アゴップの長男で現在の共同社長であるSarkis Tomurcuk氏は、この会社に正式に入社しました。
シンバルへの高まる需要はありましたが注文を満たすのが難しい状況でした。
「当時、工房で働いていたのは10名程度で父は非常に厳格でした。父はいつもArmanと私に誰よりも沢山働かせました。お陰で、私たちはシンバル作りに関することは何でも理解できるようになりました。当時の生産工程は格段に複雑でした。」
「私たちは金属を溶かすための石炭の熱にさらされながら仕事をしたものです。金属が溶けると、銅でいっぱいになった60Kg近くある壺を運んで、自分たちが開発した特別な器具を使って脚の間に挟み、それがはねないように慎重に融解した合金を専用容器に注がなければなりませんでした。」

「溶解炉の内部温度は1,000℃を超える高温になることもあるので、身を守るために、私は最初に作業着を冷水でびしょびしょに浸しました。私の作業着は壺に合金を注ぎ入れる前に既に熱で乾いてしまいました。一連の作業は7,8秒かかるのですが、少し手こずると作業着は燃え始めました。当時はこうやって一枚一枚シンバルを鋳造していたのです。今、考えると当時やっていたことは信じられませんね」とSarkis氏は振り返ります。
1986年にAgop氏の若い方の息子、現在の共同社長Arman Tomurcuk氏がこの会社に入社しました。
1986年から1996年までイスタンブール・シンバル社は大成長を続け、多くの大物ミュージシャンたちから認知され称賛されました。
その多くは全世界から工場にやって来ました。「私が14歳の時でしたが、父はエルビン・ジョーンズの演奏を観にイスタンブールに連れて行ってくれました。素晴らしいコンサートでした。演奏が終わって楽屋に行きました。私はTシャツを着ていたのですが、エルビンは私を見つけると満面の笑みでやってきてTシャツにサインをしてくれたのです。私はエルビンからの贈り物を今でも大切にしています。翌日、エルビンは工房にやって来ました。それは人生で最高の瞬間でした。」とArmanは説明しています。
この頃、ビリー・ハート、トニー・ウィリアムズ、ダニー・ゴットリーブ、ジャック・ディジョネット、アート・ブレイキー、シンディ・ブラックマン、その他大勢がやって来ました。
1992年、Armanは英国留学が終わりイスタンブールに戻ってきました。1993年にMusikmesseトレードショーに参加し、会社の取引を世界30ヵ国に広げることに尽力しました。

Oksantの退任後、Sarkis氏はこの会社のシンバル職人の棟梁になりました。
悲惨な事故により、会社の創設者だったAgop Tomurcukは1996年に亡くなりました。父の死後、2人の息子たちは16年間働いた工場を辞め、1997年にIstanbul Zilciler社を設立しました。
ブランド名をIstanbul Agopとし、サウンドやデザインにはより革新的なアプローチを取り入れつつも、伝統へは忠実であり続けました。
1988年にアルケミー・シリーズを開発し、伝統的なジャズシンバルよりも現代的で音量が出るシンバルを製作。様々なジャンルに対応する多様性を生み出しました。
2004年、イスタンブール・アゴップ社は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに国外で最初のオフィスを開設し、アーティストやドラマーとの関係を飛躍的に改善し、楽器の可能性をさらに拡大していきました。
2005年、従来のシンバル作りの限界を超える挑戦を続ける意思表示として25周年記念Anniversary Rideを発売しました。
もちろん、品質的には伝統的製法を維持しています。2009年、この世代で最も影響力のある魅力的なドラマーの名前に支えられ、最も音楽的で多様性のあるシンバル・ラインナップを持つようになりました。