Vincent Bach トップ > 歴史 > ヒストリー

ヒストリー

Vincent Bach Story

優れた楽器は、芸術と技術の結晶と言えます。
設計者、熟練工、プレーヤーとの共同作業によって創られていきます。
そういったなか、バックの創造者ヴィンセント・バックは、自分自身が、設計者・製作者・プレーヤーとして全て一流という天賦の才を持った類い希な人物でした。

1890年、ウイーンで生まれたヴィンセント・シュローテンバッハ(Vincent Schrotenbach)は壮麗なサウンドに惹かれてトランペットの演奏を始めます。
ヴィンセントはまた、技術の才に長け、機械工学の学位を習得しますが、将来を約束されたエンジニアとしての道ではなく音楽家としての道を進みました。英語読みの芸名「ヴィンセント・バック」として、ヨーロッパ各国でリサイタルを行い優れたソリストとして名声を高めました。

第一次世界大戦を契機としてアメリカに渡り、ボストン交響楽団、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の第一トランペット奏者として活躍ストラビンスキーの火の鳥やペトルーシュカのアメリカ初演も行います。
演奏活動を続けているうちに、マウスピースの重要性を痛感し、高品質のマウスピース製作への情熱に目覚めたヴィンセントはニューヨークのセルマー・ミュージックストアの裏に工房を作り、マウスピースの改造と製作を始め、研究に明け暮れます。

そして1918年に、本格的にマウスピース製作を始めます。当時のマウスピースの価格が1ドル50セント程度のところバックのマウスピースは50ドルで販売されましたが、高い評価を得て、事業としても急速に成長を遂げていきました。

バック最初のトランペットは、1924年に生まれました。
演奏家は、これはまさに、トランペットにおけるストラディバリウスだ、と評しました。バック・ストラディバリウスモデルの誕生です。

待望されていたバック・トロンボーンは、1928年に生まれました。
世界恐慌の吹き荒れる厳しい時代も、バックは優れた設計、高品質とサービスにより、見事に成長を続けました。

Bach factory

そしてヴィンセントが70歳を迎えた1961年、自分のコンセプトを後生に伝えるために、
多数の高額なオファーを断りバックの工場を以前から親交の深かったセルマーUSA社(現コーン・セルマー社)に委ねました。

後にヴィンセントは、次のような手紙をコーン・セルマー社に残しています。

1976年に亡くなるまで、ヴィンセントはバックの楽器デザインと製造に密接に関わり続け将来創りたかった楽器にまで及ぶ
数千枚の詳細な設計図とマニュアルを遺しました。
現在に至るまで、バックは最高の金管楽器として、世界中のあらゆるプレーヤーに愛され続けています。

 

バックは、現在も、将来も、世界中のプロフェッショナルプレーヤーに選ばれるモデルであり続けます。

2006年、バックの創造者 Vincent Bach氏没後30年を迎えBach氏の描いた図面や設計図を改めて見直し、
製作の全てのプロセスを調べなおしました。

このプロジェクトにより、バックの基本設計の偉大さを再認識するとともに、
オリジナルデザインに忠実に製作するため製造のあらゆる工程をBach氏自身の考案したプランに立ち返り、
徹底して現在の工程を見直し、多くの工程を加えました。
これによりBach氏が追い求めていた理想の楽器を正確に実現することができました。

伝統的な、古き良き楽器工法に回帰とも見えますが、
製造業で注目されているセル生産方式に通じ合理的に、安定して、高品質の楽器が出来るようになりました。

最上の楽器、バックを作れる光栄な立場にある我々の指標とすることは、「真のバック」を期待する皆様に応えること更に期待を上回ることです。
毎日毎日、一つ一つ、良質な楽器を大切に生産して参ります。

現在、我々はBach氏が理想とした良い状況にあり、Bach氏自身が絶賛、満足してくれると確信しています。
新世代、「真のバック・ストラッドモデル」が創れることをうれしく思っています。

野中貿易ではアメリカから到着した楽器を1本1本丁寧に検品し、より高い品質の状態に調整して、お手元にお届けしています。